しかしながら、この混乱した小国が思想史・文化史にはたした役割は大きい。周王朝の礼制を定めたとされる周公旦の伝統を受け継ぎ、魯には古い礼制が残っていた。この古い礼制をまとめ上げ、
儒教として後代に伝えていったのが、魯の出身である
孔子であり、その一門である。孔子が儒教を創出した背景には、魯に残る伝統文化というものがあったからともいえる。ちなみに孔子が魯に仕えていたのは若年時のみで、老年期まで各国に弟子と共に放浪していた。なお、「
春秋」は、隠公元年(
紀元前722年)から、哀公十四年(
紀元前481年)までの
魯国の年次記録が基になっている。