江戸時代後期、
幕府の北方への関心が高まるにつれ、
蝦夷地に向かう港町としての性格を強める。
戊辰戦争の箱館における戦いでは、新政府軍側の兵がこの地から出発した。明治4年(
1871年)9月、青森町に県庁が置かれたのは、箱館戦争がきっかけとなり、新政府が北海道への玄関口としてこの町を重視したことによると考えられる。明治24年(
1891年)の
日本鉄道上野〜青森間(現在の
東北本線)開業、明治41年(
1908年)の帝国鉄道庁による
青函連絡船開業、大正14年(
1925年)の貨車航送開始などを通じ、本州・北海道間の交通の中継点としての機能が次第に強化されていく。昭和20年(
1945年)の
青森空襲により、市街地の大半が灰燼に帰すものの戦後復興を遂げ、現在に至る。
中世の青森平野は、「包宿」があるほか、農村・漁村が散在し、田畑が広がっていたと思われる。青森の町が開かれたことにより、おおよそ現在の
青森駅付近から
堤川の間に市街地が形成される。明治以降、市街地は東側の栄町・浪打、南側の浦町にも伸びるが、現在よりも北よりのルートをとっていた
東北本線(現在は遊歩道)から南側の地域は従来通りの農村のままであった。
昭和40年代に至り、市街地が東北本線を越えて南側にも大きく広がった。