大永元年(1521年)3月7日、管領細川高国と対立した足利義稙が京都を出奔して、同月22日に行われた
後柏原天皇の
即位式に出仕しなかったために高国が警固の職務を行った。これによって天皇の信任を失った義稙の放逐を決意した高国は代わりの将軍として義晴を擁立することを決める。7月6日、義晴は高国に迎えられて上洛、8月29日に代始の参賀を行った。朝廷は高国の判断を受け入れ、11月25日に右馬頭任官、12月24日に義晴の元服が行われ、翌25日第12代将軍に補任された
[水野智之『室町時代公武関係の研究』(吉川弘文館、2005年) ISBN 978-4-642-02847-9 P246-249]。