前漢では当初は諸侯相は郡
太守よりも高い地位にあり、
秩石も郡太守より高い真二千石であった(『
漢書』汲黯伝注)が、諸侯王の領地は分割や召し上げにより減少し、郡よりも小さくなっていった。そこで、
元帝初元2年(
紀元前48年)に諸侯王の位を郡太守の下とすることと定められた(『漢書』元帝紀)。さらに、
成帝の
綏和元年(
紀元前8年)、諸侯王の
内史が廃止され、相が郡の太守のように諸侯王国の民政を掌ることとされた。なお、『
続漢書』百官志によれば、後漢においては秩石は郡太守と同じ
二千石であった。