航海法をきっかけに
1652年から
1654年にかけて、
クロムウェルのイングランド共和国と
ネーデルラント連邦共和国(オランダ)の間で戦われた。イングランド艦隊は東インドなどからアジアの富を満載して帰国するオランダ船団をイギリス海峡で襲撃し、拿捕し始めた。このため当初はイギリス海峡の
制海権が焦点となった。当時オランダの造船能力は世界最高水準にあり、オランダ製の大型軍艦は既に輸出商品として確立されていたが、常設の大艦隊を保有しない方針であること、小型艦中心のオランダ艦隊は大型艦中心のスペイン艦隊に常に勝利し続けたこと、通商ルートの保護のためには小型艦の数をそろえたほうが便利、等の理由により、
ブルジョア政治家たちは大型軍艦建造を承認しなかった。また、オランダの沿岸は水深が浅いため、喫水が深くなる大型艦が運用しづらいというどうしようもない事情もあった。これに対してイングランド側はよく装備された大型軍艦を投入した。
デ・ウィッテら一部の進歩的政治家や現場の海軍士官たちは大型艦の必要性に気づいていたが、対応は遅れた。オランダの
トロンプ提督は優勢な英国海軍に対して奮戦したが、装備の差はどうすることもできず、イギリス海峡の制海権を失い、オランダ船団は
スコットランドの北を大きく迂回してオランダ本国に帰国しなければならなかった。イギリス海軍はオランダ諸港の封鎖を続け、貿易立国のオランダは大打撃を受けた、と言われているが、本当のところは大した損害は蒙っていない。イングランドの
護国卿となっていたクロムウェルは、理想主義的なプロテスタント英蘭の対等な合邦論を唱え、
1654年和議に応じ、
ウェストミンスター和約が成立、戦争は終わった。