延暦12年(
793年)、大学での勉学に飽き足らず、19歳を過ぎた頃から山林での
修行に入ったという。
御厨人窟(みくろど、
高知県室戸市)で修行をしている時、口に
明星が飛び込んできて悟りを開いたといわれている。その間、空海が目にしていたのは
空と
海だけであったため、
空海と名乗ったと伝わっている。24歳で
儒教・
道教・仏教の比較思想論でもある『聾瞽指帰(ろうごしいき)』を著して俗世の教えが真実でないことを示した(「聾瞽指帰」は、後に序文と巻末の十韻詩を改定、『
三教指帰』(さんごうしいき)と改題されている)。この時期より入唐までの空海の足取りは資料が少なく断片的で不明な点が多い。しかし
吉野の
金峰山や
四国の
石鎚山などで山林修行を重ねると共に、幅広く仏教思想を学んだことは想像に難くない。『
大日経』を初めとする密教経典に出会ったのもこの頃と考えられている。さらに
中国語や
梵字・悉曇などにも手を伸ばした形跡もある。