明治時代以降、国民食として短期間に全国に広まった最大の理由は、帝国陸海軍の隊内食・戦闘食の副食として採用されたため、兵役終了後の元兵士達により、その味が全国の家庭に持ち帰られ、浸透した。
寛文12年(
1672年)、
出羽国雄勝郡八幡村(現
秋田県湯沢市)出身の
了翁道覚が、
上野寛永寺に勧学寮を建立した。勧学寮では寮生に食事が出され、与えられたものは質素なものであったが、
おかずとしては、了翁が考案したといわれる
漬物が出された。
大根、
なす、
きゅうりなど
野菜の切れ端の残り物をよく干して漬物にしたもので、輪王寺宮がこれを美味とし「福神漬」と命名、巷間に広まったとされる。なお、
白土三平の漫画『
カムイ伝』では、登場する商人・夢屋が「ヤタラ漬」の名で売り出し評判を呼んだものとあるが、あくまで創作と推測される。