福田千鶴は彼女の呼称についての検証をした結果、本名を「浅井茶々」、通称を「淀」と号した
[「御当家紀年録」(『訳注日本史料・御当家紀年録』・成立)に「長政女、号淀」(長政の女[外部リンク]=娘、淀と号す)との割注があり、江戸前期の記録に呼び名が「淀」であったとの認識が示されている。]とするのが適切ではないかとし、生存中に「淀殿」と記した史料はなく、「様」付けで呼ばれていることから、同時代的な呼び方としては「淀様」とするのが正しいとしている
[『淀殿 ? われ太閤の妻となりて』p.1-p.24。]。