1677年(
延宝5年)7歳のとき
得度して
越中国井波瑞泉寺の住職となるが、京都との間を往来した。父も兄も
北村季吟の門人であり、初め季吟に師事したが、のち
向井去来に学んだ。
1691年(元禄4年)に刊行された『卯辰集』ではじめて句が入集している。
1694年(元禄7年)閏5月、去来を通じて京都嵯峨の
落柿舎で
松尾芭蕉に会い、芭蕉の門に入った。芭蕉の没後も芭蕉への敬慕の念が厚く、塚を立て、遺髪を得て黒髪庵を建立している。また芭蕉の門弟らと交流し、
各務支考と親しかった。