日本には自然観察に基づく経験則によって生み出された
農事暦などは存在したが、体系的な気象学が入ってくるのは、
江戸時代後期以後である。とはいえ、全くそれ以前に気象学が無かったわけではなく、
アリストテレスの気象学は部分的ながら
戦国時代に
宣教師を通じて流入していた。
山鹿素行は
風が地表を移動する空気の流れである事には気づいていた。これは西洋で気象学が盛んになる前の発見であったが、彼の関心は
軍学の一環としての物であり、独自の学問としては発達しなかった。
蘭学の流入以後わずかながら気象の動きに抱く人も出てきて、
柳沢信鴻や
司馬江漢のように気象の状況について詳細な記録を残す人も登場した。
土井利位が自ら
顕微鏡で観察した
雪の
結晶についての研究書である『
雪華図説』は良く知られている。
天保年間以後
江戸幕府天文方で気象観測が行われるようになり、
安政4年には
伊藤慎蔵によって本格的な気象書の翻訳である『
颶風新話』が刊行された。なお、meteorologyを「気象学」と訳した最初の文献は
明治6年の『
英和字彙』である。2年後、東京気象台が設置され、明治17年には
天気予報が開始、明治20年には
中央気象台が発足されるとともに気象台測候所条例が制定され、日本の気象学が本格的に勃興する事になる。