このように皇帝が政務を省みない状況で朝政を担当したの正徳帝の幼少時からの遊び仲間であった
宦官・
劉瑾である。劉瑾は賄賂政治による莫大な蓄財を行い、最終的には皇位
簒奪を計画した。この計画は密告により失敗し劉瑾は処刑されたが、皇位簒奪計画を知った正徳帝は酩酊しながら望むなら帝位を譲ると述べたと史書は記録している。
正徳帝の放蕩たる生活は続き、劉瑾亡き後は娯楽の対象は軍事となり、軍人を相手に
紫禁城の中で軍事訓練を実施するなどを行ったが、訓練に飽き足らず
親征を行うとして大軍を動員、行軍先で美女を誘拐し陣中で淫楽にふけっていた。