ドイツ人と
日本人の間に生まれた女児として、当時では稀なmixed(
ミックス)であったので
差別を受けながらも
宇和島藩主
伊達宗城から厚遇された。
1871年(明治4年)、異母弟にあたるシーボルト兄弟(兄
アレクサンダー、弟
ハインリッヒ)の支援で東京は築地に開業したのち、
宮内省御用掛となり、
明治天皇の
女官葉室光子の出産に立ち会うなどなど、その医学技術は高く評価された。異母弟ハインリッヒとその妻・岩本はなの第一子の助産も彼女が担当した(その子は夭折)。その後、
1875年(明治8年)に医術開業試験制度が始まり、女性であったイネには受験資格がなかったため、東京の医院を閉鎖、郷里・長崎に帰郷する。
1884年(明治17年)、医術開業試験の門戸が女性にも開かれるが、既に57歳になっていたため合格の望みは薄いと判断、以後は
産婆として開業する。62歳の時、娘一家と同居のために長崎の産院も閉鎖し再上京、医者を完全に廃業した。以後は弟ハインリッヒの世話となり余生を送った。1903年、
食中毒のため
東京の
麻布で亡くなる。享年77。墓所は長崎市
晧台寺にある。