『左伝』は、他の三伝と異なり豊富な資料を元にし、詳細に『
春秋』を補っており現在の
春秋時代を理解する重要な資料として知られる。特に、当時の戦争に関する記載は詳細である。また、同時期を扱った歴史書『
国語』は『左伝』と一対の作品とみなす説があり、「春秋外伝」と呼ばれた。
『春秋』の注釈として
前漢では公羊伝・穀梁伝が学官に立てられていたが、
新では
劉?が『左伝』を学官に立てた。
後漢では学官に立てられなかったが、
服虔が
訓詁学に基づいて注をつくるなどして、やがて公羊学を圧倒した。
西晋では
杜預が『春秋』経文と『左伝』とを一つにして注釈を施した『春秋経伝集解』を作り、以後、春秋学のスタンダードとなった。唐代には『春秋経伝集解』に対する疏の『
春秋正義』が作られた。しかし、
唐代以降、『左伝』は『春秋』の注釈として否定的にとらえられるようになり、
宋代になると『左伝』は排斥された。
南宋の
儒学者朱熹も「左伝は史学、公・穀は経学」と述べ、『左伝』を歴史書として考えている。