兵庫県神戸市須磨区に父・木村松太郎、母・みさゑの三女として生まれる。
兵庫県立神戸高等学校卒業後、大学進学を望んでいたが、父親の強い希望により大学進学をあきらめる。その代わりに友人が勝手に願書を出し、父親への反発もあり受験し合格した
宝塚音楽学校にすすむ。宝塚歌劇団に入団。宝塚時代の愛称は(本名の寛子から)
カン子。
1954年4月に『春の踊り(宝塚物語)』で初舞台を踏む。
同期に
内重のぼる(元
月組トップスター)、武蔵野裕美(
森奈みはるの母)、白菊八千代(
出雲綾の母)、日夏悠理(
小山田宗徳夫人)らがいる。歌劇団は
八千草薫とともに新設の映画専科に編入させる。在団のまま同年10月に映画『快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻』に出演する。その他、テレビや映画に出演する。
1956年『夜霧の女』で
春日野八千代の相手役で盲目の少女ジェニイを演じ、新人演劇賞を受賞する。