元文3年(
1738年)に藩主が嗣子なくして死去したときに藩主を輩出する
家格として一門家を新設。当時、家格一所持だった同母弟の垂水島津家当主
島津貴儔や、次男で加治木家当主島津久門(後の島津重年)をこの家格とする。
継豊は当初、毛利吉元の娘を正室としていたが、彼女が早世した後に
徳川吉宗の斡旋もあって、五代将軍綱吉の養女・竹姫と再婚した。竹姫は吉宗と恋愛関係があるのではないかという憶測があり、継豊の父・吉貴はじめ薩摩藩では好意的にはとっていなかったという。しかし、吉貴の友人である老中
松平乗邑の斡旋もあって、継豊には既に側室のお嘉久(渋谷氏)との間に嫡男が生まれていることから、竹姫との間に子が生まれても嫡子としないなど様々な条件をつけた上で受け入れたという。