インドという西洋的な名称は、印度という中国語名称と同じく、
インダス川に由来している。名称の共通性を可能にしたのは、
シルクロードを介した東西交通であった。今日伝わっている文献の中で天竺について最初に言及したのは
司馬遷の『
史記』である。司馬遷は
張騫の
中央アジア(後年の用語で言う
西域)探検の記録をもとにしたのだが、そこでは天竺ではなく
身毒と呼ばれている。おそらくこれは、Sindhu(
シンド語や
パンジャーブ語においてインダス川を意味する音)が転じて、Ju?nd?またはSh?nd?またはYu?nd?と発音されたためであろう。『
山海経』や『
漢書』も同じく「身毒」の字を当てるが、『
後漢書』では「天竺国一名身毒」と書かれている。
玄奘の『
大唐西域記』では「印度」の言い換えとして、「夫天竺之称,異議糾紛,旧云身毒,或曰天竺,今従正音,宜云印度」と書かれており、身毒、天竺、印度という3つの名称がほぼ同義に用いられている。
天竺という名称を用いることが一般的となったのは、
唐の時代である。一説によればそれは、中国語の発音が変化を起こして、天竺という綴りをXianduと読むようになり、これがSindhuの派生語として意識されたためである。別の説によれば、南アジアを
仏教発祥の地として崇拝する僧侶たちが、「天」という字を好んだためである。その結果、仏教が中国文化に浸透するにつれて天竺という名称も広まっていった。同じ名称が東アジア文化圏の全域にわたって広まることとなる。ちなみに現代の標準中国語ではTi?nzh?である(「印度」はY?nd?)。