大老職に就けるのは井伊・酒井(雅楽頭流)・土井・堀田の四家に限定された。この四家以外にも譜代10万石以上の大名が任命されることもあったが、大老ではなく大老格と呼ばれた。たとえば、
柳沢保明(後の柳沢吉保)は大老格である。しかし、
徳川四天王と称せられ、石高でも堀田家を上回っていた譜代重鎮の
酒井忠次・
榊原康政・
本多忠勝の末裔はこれに任じられないなど、大老四家を固定した基準はいまひとつ不明である。なお、土井家は土井利勝ただ一人だけが大老に登用されたが、4代目の利久のときに無嗣廃絶となり、7万石(後に1万石加増)で家名再興が許可されたため、石高で大老となる資格を喪失した。しかし天保の改革が頓挫したあとで
土井利位が老中筆頭になるなど、幕閣に連綿と重きをなした。