1872年には、高知出身ゆえに新政府内で冷遇されていた大江の外交知識の豊富さを知っていた
神奈川県令(知事)陸奥が、
神奈川県参事に引き抜いた。大江は陸奥の片腕となり、明治になって間もない神奈川や横浜の街の土台づくりに奔走し、近代日本を維持するための警察制度を作り上げた。買われた外交知識も遺憾なく発揮し、「
マリア・ルス号事件」発生時に事態を重く見た外務卿
副島種臣から権令(副県知事)に抜擢され、
清国人奴隷232人を、自ら裁判長となって解放した。その後、陸奥のあとを継いで県令となる。