嘉靖帝は傍系であり、これが即位すると
大礼の議問題が発生した。嘉靖帝は即位後、武宗が寵愛した銭寧・江彬を処刑して、宮中の官員を整理し、先代の弊風を一新した。しかし、嘉靖帝は
弘治帝から正徳帝という帝位を継承したため、形式上は弘治帝子になり弘治帝を父とする必要があった。しかし嘉靖帝は実父興献王を皇帝の父・皇考として扱う事としたため系譜上では弘治帝が消滅する事になった。そのため先代の武宗とする廷臣たちと論争し、意見の異なる臣下を200人あまりも解任または投獄した。この事件により皇帝に諫言を行う臣下が減少したとされる。