また『
吾妻鏡』によれば、南部光行が糠部に下向した最初の
正月、
大晦日を前にして正月の準備が全く揃わない事態となり、困った家臣が光行に相談したところ、光行の「ならば南部の正月は12日だ」との鶴の一声で、以後南部氏の正月は12日となり、南部氏においては領民共々正月は12日に祝うようになったとされ、世間においては「南部氏の私改め」と評判を呼び、それが正月の伝統行事とされた
えんぶりへと継承された。このエピソードは当時の南部氏が、後の南部氏と違い、如何に弱小で困窮していたかを知る上でも貴重なエピソードでもある。