韓道昇の序によると、金代には
大定24年(
1184年)に作られた後陽の王与秘なる人物の『篇海』(金の?準『新修累音引証群籍玉篇』が底本とした浚陽の王太『増広類玉篇海』と推測される)という大部の字書があったとされる。
明昌7年(
1197年)、韓孝彦は『玉篇』の542部を
三十六字母によって並び替え、さらに『
龍龕手鑑』といった書物を参考に、37部を増やし、579部とした。
泰和8年(1208年)、韓孝彦の次男
韓道昭が部首が繁雑であるとして444部に併合したことで現在の形となった。なお444とは『
易』の[
六十四卦、すなわち
三百八十四爻と
天干地支の
六十干支を足した数であり、天地万物を網羅することを意味する。