46年の長期にわたる在位の中で13回もの対外遠征を行い、数多くの軍事的成功を収めてオスマン帝国を最盛期に導いた。
英語では、「
壮麗者(the Magnificent)」のあだ名で呼ばれ、日本ではしばしば「
スレイマン大帝」と称される。
トルコでは法典を編纂し帝国の制度を整備したことから「
立法者(カーヌーニー ???????? al‐Q?n?n?) /Kanuni)」のあだ名で知られている。
また、ハプスブルク家に対抗するためフランス国王
フランソワ1世と同盟を結び、
1543年には、オスマン艦隊とフランス艦隊が共同で
ニースを攻略した。さらに、ハプスブルク家と対立していたドイツの
ルター派をフランソワを通じて間接的に援助したとも言われる。フランソワとその後継者
アンリ2世がルター派諸侯に送った資金の大部分は、オスマン帝国から供出されていたようである。のちにスレイマンは、ハプスブルク家の支配下であった
ネーデルラントのルター派に対しても援助を申し出た。