『
コリントの信徒への手紙一』などの他のパウロ書簡と同じように、『コロサイの信徒への手紙』(以下コロサイ書)も対象となった共同体の特定の状況に対する問い合わせにパウロが答えるために書かれている。その主要な問題は誤った教えに関するものである。東方由来の神秘思想や禁欲主義をキリスト教にとりこもうとする人々に対して警告している。パウロはキリスト教にとって必要なものはすべてイエスの中にあると述べ、そのあがないの意義を強調する。「新月」と「
安息日」(2:16)という表現も
ユダヤ教由来のものを固守しようとしていた人々がいたことを示唆している。
本書簡は神学的考察と実践的なすすめの二部構成になっている。1章から2章にかけての神学的考察の部分では、霊において頭であるキリストの神性のうちにあって完全なものとなることをさまたげているものたちへ警告を行っている。共同体の頭であるキリストのうちに一つでありさえすれば、それ以上のものは何も必要ないと著者はいう。実践的なすすめの部分では信仰生活においてすべきこと、なすべきでないことを解説する。さらに上にあるものを求め(3:1-4)、古い自分に死んで新しい自分を生きること(3:5-14)を示し、ユダヤ教徒でないキリスト教徒としての行き方を提示する。
ティキコは本書の運び手であり、パウロが手紙で伝え切れなかったことを人々に伝えるという使命を負っている。書簡の最後で
ラオディキアへ送った手紙について言及しているが、偽書である『ラオディキアの信徒への手紙』はこの記述をもとに書かれたと考えられている。全体的に本書は『エフェソ書』に良く似ているといえる。